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スシロー少年事件で子供を持つのはリスクでしかないという若者たち

スシローの醤油ペロペロ事件で親の責任、子育て責任が問われていますね。

スシローは株が170億も下がり、各店舗の衛生処理に費用がかかり、相当な損失を受けているようで、その損害賠償の行き先が、ペロペロ事件の未成年容疑者の親にのしかかるだろうという話です。

電車の中で聞き耳を立てていると若い女性が、「親子揃って人生詰むよね。子育てって難しいよね。子供の責任とれないから私に子育てなんて無理、だから作らない」などという話が聞こえた。

罪を犯す人にも必ず親がいるもので、親は子供を罪人にしたくて生むわけではない。

子供は家族を含めた環境の中で育ち、世の中の事を知っていく。

例えば高校生が育っていく過程で、親との関わりが深い時期は何歳までだろうと思う。

せいぜい小学生まで?12歳までかなあ。

中学生になると思春期を迎えて友達と過ごす時間が増えていく。ましてや現代はリアル以外のオンラインのコミュニケーションも増えているだろう。

やっていい事、悪い事、善悪の判断は、人の命をあやめることについては身についていたとして、今回のスシロー事件のようなケースは、最近は聞かない言葉だけど愉快だという発想がもとになっているように思える。

スシローぺろぺろ事件について、賠償額は100万円程度??(弁護士が解説)(福永活也) - エキスパート - Yahoo!ニュース
スシローで、高校生の男性客が卓上の湯呑みや醤油さしを舐め回して元に戻し、また、唾をつけた指でレーン上の寿司に触れるという迷惑行為を撮影した動画が拡散され、問題となっています。問題を起こした高校生及び保

ネットが無い時代は、愉快な悪さは直接目撃するか、友人から友人の言い伝えがせいぜい広まる限度だっただろう。

誰かが(店側が)現場を押さえたとしても、警察に突き出すところまでで終わりそうに思う。

しかし、ネットで拡散することに愉快な感覚を覚えてしまった少年は、その影響範囲までは想像しなかったのだろう。

賠償責任を追って、家族の人生が崩れていく様子を知っていたら、知っていたのかもしれないけれど、あのような行動をとったのだろうか。

義務教育の責任にするつもりはないが、小学生時代にどんなことを教わり、中学生時代にどんなことを教わったのだろう。

自分たちの子供の頃には道徳という授業があったが、よい事と悪い事はこれこれという内容が思い出せない。

ただ、教師、親、近所の大人、お店の大人などなどから、よい事、悪い事を教わった気がする。

例えば、子供が物を欲しい、物が欲しいけどお金がない、でも欲しいから万引きをする。

身近な事例だけど、万引きしちゃいけない、万引きすると親が謝りに来て親に叱られる。万引きの始まりから終わりまでのストーリーは、周囲の大人から聞かされていた。

もちろん友人からも聞いていて、万引きは罪というより、最後は親に叱られるからやるべきでないという流れで、万引きに抑止がかかっていたように思う。

親に叱られることは、教師や近所の大人に叱られるよりも始末が悪い。というのは、親はいつも家にいるし、生活を共にしているからだ。教師に叱られるのは学校という場だけだし、近所の大人も叱るのは会った時だけ。

こうして考えると、子育てって難しいというけど、悪いことをしたら親が叱るというシンプルな行為の連続のような気がする。

車の運転の例えが適切かどうかわからないが、車を運転していて車線からはみ出ないようにハンドルを操作する。叱るという言葉は適切ではないが、進むべき方向を指し示すという事だ。

叱るという言葉でさえ子供の人権にとってふさわしくないというご時世なので、言葉で指導すると表現を変えようか。

いや、現代は、叱ると怒るが同一視されているが、怒るは感情であり、叱るには感情はあるものの、憎しみはないと考える。

結婚したけれど子供をつくることに躊躇している人たちに言いたいことは、子育てで子供は育つけど自分も育つよ、自分に自信を持ったら?と言いたい。子は親の鏡というけど、親も子の鏡なのだ。DNA的にも、環境的にも、一緒に暮らした時間の長さ的にも。

結論がでないけど、ひとつの事件で子供を産む産まないを決めつけるのは早計ではないか、と思った次第。

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