井上堯之バンドで有名なあの井上堯之さんが5月4日に亡くなりました。77歳です。井上堯之さんの堯之は、たかゆきと読みます。死因は不明ですが、胃がんや肺気腫を患ってバンド活動を引退後、療養しながら楽曲作成を行っていたようです。
【ギタリスト 井上堯之さん死去】1960年代にグループサウンズ「ザ・スパイダース」で活躍したギタリストの井上堯之さんが2日に死去したことがわかった。77歳。ギターサウンドの追究をし続けた職人肌のギタリスト。 https://t.co/z6elfZYaSR
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2018年5月4日
井上さんはザ・スパイダースのギタリストでしたが、去年、かまやつひろしさんが亡くなったばかり。スパイダースファンとしては悲しいです。堺正章さん、大野克夫さん、井上順さんも元スパイダース。ちなみに岸部一徳さん岸部四郎さんは元タイガースです。
井上堯之さんはスパイダース解散後に井上堯之バンドを結成しました。井上堯之バンドと言えば「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」を思い出しますね。(僕の年代にはどストライク!)
特に沢田研二の曲を数多く手がけて「勝手にしやがれ」は僕のカラオケリストにも入っています。
井上堯之バンドや沢田研二さん萩原健一さんとの関係、晩年の活動について紹介します。
井上堯之バンドはスーパー過ぎるバンドだった
グループサウンズ全盛期に活躍していた ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズ の元メンバーが1971年に結成したバンドです。
はじめは、沢田研二・萩原健一のツインボーカルによる「PYG(ピッグ)」として活動していました。なんて贅沢なバンドでしょうか!
しかし、萩原健一さんは俳優活動が忙しくなって、沢田研二さんがボーカルをやるようになりました。その経緯から「沢田研二と井上堯之バンド」という名前になったという訳ですね。
井上堯之バンドの代表曲は何と言っても「太陽にほえろ!のテーマ」です。僕はリアルタイムで見ていませんが、曲を聞くと走り出したくなってしまいます。
井上堯之バンドの構成は次の通りです。
- 井上堯之(ギター)元スパイダース
- 大野克夫(オルガン)元スパイダース
- 岸部一徳(ベース)元タイガース
- 原田裕臣(ドラムス)元ガロ(学生街の喫茶店ww 懐かしい!)
岸部一徳さんはドクターXなどで独特の演技を見せていますが、弟の岸部四郎さんとともに個性派俳優ですよね。いずれも元タイガースです。
今の岸部一徳さんしかしらない平成生まれの人たちはベースを弾いていたなんて信じられないでしょうね。
井上堯之バンドと沢田研二の出会いと別れ
スパイダースの井上堯之さんはタイガースの沢田研二さんと出会い「PYG(ピッグ)」を結成、萩原健一さんが俳優活動でボーカルが出来ないことから沢田研二さんのソロボーカルになり、井上堯之さんは沢田研二さんのための曲を作るようになります。
井上堯之さんは沢田研二さんのボーカル力を生かそうと「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」という曲を作り、次々とヒット曲を飛ばしていました。
沢田研二さんは単なるバンドボーカルではなくエンターティナーとしてテレビ等で注目されていきました。
そんな井上堯之さんと沢田研二さんとの間にはいつの間にかスキマがができていたのかも知れません。
【どうしょうもないよ】とか【歌わない男】という井上堯之さんの曲は沢田研二さんとの関係を表現しているとも言われました。
井上堯之バンドは1980年に解散しました。沢田研二さんのバックバンドも交代しました。『太陽にほえろ!』は同じスパイダースだった大野克夫バンドが担当していました。
その後、萩原健一さんを招いて再結成イベントなどもありました。二人の交友関係は深かったようです。
井上堯之さんは晩年クリエーターとして活躍
萩原健一さんと交友が深かったせいもあるのか、「太陽にほえろ!」のテーマ曲の他に劇中音楽の演奏も担当していました。
交友関係のせいか、萩原健一さんのドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」、映画「青春の蹉跌(さてつ)」などでも楽曲を作り作品を印象づけていました。
この経験があってなのか、曲を演奏するだけでなく曲を提供するクリエーターとしての活動も開始し、有名曲は近藤真彦の「愚か者」(87年の日本レコード大賞を受賞)ですね。中島みゆきの「ファイト!」の編曲も手掛けるなど、さまざまな音楽活動をつづけながらも、ギターサウンドを追求してきたカッコイイ職人肌の人です。
井上堯之さんは77歳でしたが、萩原健一さん、沢田研二さんはまだ70歳手前。彼らにすれば兄貴分ですね。二人のコメントに注目です。
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