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青山学院大を優勝させた原監督ってどんな人?経歴は?どんな奥さん

箱根駅伝総合優勝、記録更新、新山の神の生みの親というニュースで
テレビでも引っ張りだこの青山学院大学陸上部監督の原晋(はらすすむ)監督。

強豪校を破った原監督の経歴や人柄、そして妻ってどんな人という質問が
あるようです。

さっそく調べてみました。

原監督のプロフィール

名前:原晋と書いて、はらすすむと読みます。
   晋という字が珍しいですね。

生年月日:1967年(昭和42年)3月8日生まれ、現在47歳。

身 長:176センチ
体 重:81キロ

生まれ:広島県三原市

学 歴:世羅高校、中京大学

競技歴:中京大学3年、インカレ5,000m3位
    1989年 中国電力入社。陸上部創設。
    1995年 引退

指導歴:2004年 青山学院大学陸上部監督就任
    2009年 33年ぶりの箱根駅伝出場

家 族:子供はない。妻は、美穂さん(現在47歳)
    夫婦で学生たちと同じ寮に住んでいる。

原監督は元伝説の営業マンだった

現役を引退後、指導者になるまで10年間はサラリーマンを
していました。

原監督が自分で「伝説の営業マン」と言うほど、営業成績がよかったらしく
箱根駅伝で戦うこともビジネスも一緒というコメントが印象的です。

中国電力時代、創設されたばかりの陸上部で頑張ろうという1年生の時に
故障してしまい、1995年には引退しました。

その後、営業所に配属されて下積み時代をおくり、同期に負けまいと
仕事を覚えて、子会社設立の一員に。

その子会社はスタートが5人だったが、100人を超える会社にまで
育てあげ、その時の手腕を自分で「伝説の営業マン」と言っているようです。

青山学院大学の陸上部の監督になったきっかけ

出身校でもなんでもない青山学院大学から監督のオファーがあった時
「嘱託職員」という身分だったとのこと。

妻は反対、しかし、原さんの母親は陸上の舞台でもう一度日本一を夢見たのか
日本一になれと言って賛成。

その言葉に押されて妻を説得、中国電力を退職して元に戻れないように
自分を追い込んだ原晋さん。

青山学院大学陸上部監督就任の言葉では、10年後には優勝!と宣言し
見事、11年目に総合優勝。

有限実行とは原監督のためにあるような言葉ですね。

10年という時間が必要なこと、優勝のためには何をすればいいのか
どれだけの時間がかかるのか、自分の能力はどうかという経験を
営業マン時代に培ったのだと思います。

営業マンとしての腕はスカウトにも発揮されました。

原監督の出身高校である世羅高校からは、主将の藤川拓也、渡邉 心(こころ)が
青山学院大学に入ってくれました。
また、中京大中京からは山の神こと神野大地が入ってくれています。

原監督は指導だけでなく素材発掘能力と、スカウト能力を発揮して
前代未聞の記録を打ち出したんですね。

駅伝の監督の方法論が塗り替えられる出来事じゃないかと
思います。

就任当時の青山学院大学陸上部の様子

2004年の就任直後は、選手への技術指導の前に生活指導に集中した
らしいです。

選手の生活態度もよくなく、飲み過ぎで救急車で運ばれる選手も
いたらしいです。

この状態から10年後には日本一の座をつかむとは、さすがに
社員5人から100人超の会社を作り上げた伝説の営業マンらしいですね。

チャラいは褒め言葉

青学はチャラい。とまわりから言われてきたという原晋(はらすすむ)監督ですが
これは原監督にしてみれば最高の褒め言葉らしいですね。

人が見ていないところで泥臭く努力して、大会という表舞台ではチャラく華やかに走る。

そんな気持ちが現れて「ワクワク作戦」という言葉も出てきたのでしょう。

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